森羅万象の旅日記           




11 風水都市   松本・T

ここから松本の街までは、一気の下り坂である。とはいっても距離はだいぶある。上高地への分岐点や、水を豪快に放水しているダムや、白骨温泉などを通過しながら市街地に入る。

そのまえに、鬼博の余談

実は何を隠そう、別に隠す必要もないが、私は大の松本ファンなのである。松本が好きだといっても、あのダンプ何とか、ではないです、一応念のため。私が松本に初めて足を踏み入れたのは学生のときでした。

歩きとヒッチハイクで能登半島を一周した帰りに、立ち寄ったのです。駅近くの場末の居酒屋に飛び込むと、チィーちゃんという年配のおばあちゃんがいて、(あたりまえぢゃ)、大変良くしてくれました。店の名前は"たぬき"といって、これから結構長い付き合いになるのです。

その晩は、飛び込みで信州大学の学生寮に泊めてもらいました。今はどうか知らないけれど、あの頃は、学生でなくても貧乏旅をしている若者には、ほとんどの学生寮は泊めてくれたものでした。

私も日本列島北から南まで、色々な学生寮のお世話になりました。しかも、ずうずうしいことに、食堂にまで出没し、超安い食事まで頂きました。特に信大学生寮にはこれがきっかけで、長いお付き合いとなるのです。

当時、私はテニスに熱中していました。私の好きな、悪童マッケンロウや、哲人ボルグが活躍していた頃です。女性は皆、短いスカートをはいて、見えるか見えないかぎりぎりのところでプレーをしていました。

それが見たさにテニスを始めた私ですが、やがてテニスコートの中がジャージ姿の女性ばかりになってしまったのを見て、私もさっさとテニスを止めてしまいました。

松本は公共施設が大変充実していて、テニスコートも沢山ありました。そこで我々は、テニス合宿と銘打って、東京から仲間を連れて行き、信州大学の学生寮に泊り込んで、何日もテニスをやったものでした。

夕方になると、すぐ近くの浅間温泉の、五十円で入れる外湯に行くのでした。学生寮の脇にはりんご畑があり、ときどき、いただきます、と空に向かって断ってからちょうだいして、不足気味のビタミンCを補ったものです。

そのあと、例の"たぬき"に繰り出すのですが、ここが信じられないほど安いのです。そして、勘定を払うと、合計の最後が必ず五円なのです。五円がつくメニューなど一つも無いのに、何回行ってもそうでした。消費税などまだ無い頃なのに。

これは少し後の事になるのですが、色々さがしてみると、いい店が沢山あるのです。居酒屋、蕎麦や、喫茶店、馬刺しや、美味しいのは当然なのですが、古い建物をぴかぴかに磨き上げて使っているのです。

家具なども良いものを何代にもかけて使っています。私は、古いものが即いいものだとは思っていません。しかし、時間は最高の批評家だと思います。その長い時間に耐えてきたものは、やはりそれだけの価値があります。

これからは共生の時代ではないでしょうか。共生というと、建築家の黒川紀章氏が、カザフスタンの新首都の国際設計コンペで一位になりました。えーっ日本がなぜ一位なんだ、と各国の関係者は思ったそうです。

というのは、ロシアやドイツ、アメリカはこのコンペを大変重要視して力を入れていました。なぜならカザフスタンには、世界の石油埋蔵量の二割が眠るといわれているからです。

そこに2030年をめどに人口100万人の首都「アスタナ」を作ろうというものです。ポスト中近東を目指す各国が乗り気にならない訳がありません。

このコンペにおける黒川氏のコンセプトは共生、「生命の原理」だったのです。ここには昔の古い町並みも残っています。それらを壊さないで、共に発展する都市を作るというものです。こういうテーマを出したのは黒川氏だけでした。

筑波学園都市もよく整備された街ですが、もう少し混沌とした場所があってもいいですね。たとえば、赤ちようちん横丁のような。新宿も吉祥寺も、そういう場所はいつも人があふれていて活気があります。

松本は、この古いものと新しいものが上手く調和している街だと思います。古い建物を単に残すのではなく、見事に使い切っています。それと、まわりを取り囲む山々と河川との取り合いが実に良いのです。   つづく


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